『北の鞄ものがたり〜いたがきの職人魂北室 かず子 著

鞄いたがきの創業者板垣英三が15歳にしてこの道に入った丁稚時代は戦後間もなくの動乱期、株式会社いたがきを創業した1982年は高度経済成長の真っただ中。そして今、時代は大きな変革を遂げ市場経済も慢性化し、メイドインジャパンの国際化に見られるように、ものづくり文化への関心や価値が高まる一方で、技術者不足や人口の減少が社会的にも大きな課題となっています。

創業者 板垣英三は2019年7月11日に84年の生涯に幕を下ろしました。70年にわたり鞄づくり一筋に生きてきたその生涯と、移り変わる時代背景から、ものづくりとは何か、タンニンなめしの革について、そしてこれからの可能性を考えていくきっかけになるように、存命中の貴重な時間に何度もインタビューを重ねて、北室かず子さんにまとめていただいた本が、2018年10月に北海道新聞社から出版されました。ぜひご一読いただければ幸いです。

  • 目次

  • プロローグ「ものづくり」という仕事
  • 板垣英三のまなざし

  • <いたがきものづくり>鞍ショルダーに宿る5つのITAGAKI

    タンニンなめしの革/ステッチワーク、稔引き/手しごと/金具 名脇役たち/匠の技

  • 第1章 鞄が生まれる場所

    働く人は10代から80代まで/天然のタンニンでじっくりなめした革/一片の革もムダにしない裁断課/裁断課は匠ぞろいの精鋭部隊/挑戦続ける開発課と研修班/英三の理念、修理班

  • <いたがきものづくり> E919鞍ショルダーができるまで

  • 第2章 板垣英三のあゆみ

    生い立ち/丁稚奉公の日々/鬼気迫る職人の仕事/親兄弟で立ち上げた三協鞄製所/挑戦続ける開発課と研修班/夫になり、父になる/板垣一家、津軽海峡を渡る/キャスター付き鞄のアイデア/独立、創業へ/苦悶の日々/一番弟子/通販雑誌「カタログハウス」、寝台特急「北斗星」/「ズームイン!!朝!」、各地の北海道物産展/出店展開

  • 第3章 新天地、赤平の種となる

    「学びの場」を創りたい/「あかびら匠塾」のネットワーク力/「使うプロ」に支えられて

  • エピローグものづくり企業、未来へ

  • 対談 山本昌邦✕板垣英三 手間暇かけた革を職人の手で
  • 革製品の手入れについて

  • 創業者・板垣英三と㈱いたがきの歩み

プロローグ

「ものづくり」という仕事

英三は、ものづくりによって自らの人生を築き、北の大地に一粒の種をまいた。家族と共に種に水をやり、肥料を施して、慈しんで育てた。巨木が小鳥や小動物の棲み家となるように、人々が故郷で働ける場所をつくった。そしてそこから生み出された製品という果実は、使い手の人生を豊かに彩っている。英三の軌跡をたどることは、「ものづくり」という仕事が生み出す希望と可能性を探ることになるのではないだろうか。

(一部抜粋)

鞄

第1章 鞄が生まれる場所

北海道赤平市。両岸を豊かな河畔林に縁取られた空知川がゆったりと流れるまちに、株式会社いたがきはある。

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いたがきのものづくりを、赤平の工房で働く人たちを中心にご紹介しています。北海道の自然と、環境にやさしいタンニンなめしの革、毎日工房で手を動かし働く人たち、その三拍子が揃って生まれるいたがきの製品。それらを思い描いていただけるような、著者・北室かず子さんのリズムカルな文体はとても読みやすく、読んでいるとまるで工房にいるような気がしてきます。

『店舗と同じ階の奥に工房がある。鞄を考える人、作る人、売る人、買う人が同じ場所にいるのだ。つまり作り手は、お客様の気配をすぐそばに感じながら作ることができる。地球の裏側で作られたものを消費することも珍しくない現代にあって、これは作り手にとっても使い手にとってもかなり贅沢なことなのだと、私は後の取材で知ることになった。』

工房

第2章 板垣英三のあゆみ

板垣英三は昭和10年、父・板垣源太郎、母・可つの間に三男として生まれた。長兄は修一、次兄は航二という男3兄弟だ。

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創業者・板垣英三の波乱万丈な人生。会社員として北海道へと導かれる転機があり、集大成として家族と共に赤平の地で株式会社いたがきの創業を決断、そこからさらに過酷な挑戦が始まる・・・英三のものづくりへの執念が描かれています。職人として生き続けること、会社を経営することの難しさに直面しながらも、多くの人に出会い励まされ助けられて今日がある、この83年間が綴られた要所要所で印象を残してくれる文章には、自然で優しく英三の真面目さが表現されています。

『現在の東京都台東区千束。この吉原遊郭にほど近い職人のまちで、15歳の丁稚奉公が始まった。朝5時に起きて家の中と外を2時間かけて掃除する。職人たちが起きてきたら、食事をしている間に布団をたたんで押し入れにしまう。寝ていた場所を仕事場にできるよう、職人たちの道具を全部出して段取りをする。』

第3章 新天地、赤平の種となる

昭和24年に開校した赤平町立赤平高校から始まる北海道赤平高校の歴史が閉じたのは、平成27年3月末日のことだった。

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英三が発案者となって創設された「あかびら匠塾」について、共存共栄を目指す赤平の個性あふれるものづくり企業とともにご紹介しています。匠塾の活動から、赤平、そしてものづくりの将来を、模索する内容にまとめられています。ものづくりを目指す将来の職人たちが、この赤平で一人でも多く育っていくことが、英三の願いなのです。

『英三は、希望あふれる地元の若者が、教育と雇用の機会がないばかりに故郷を離れることが残念でならなかった。そこで20年以上前から、ドイツのマイスター制度のような、職人を育成する教育機関を構想し始めた。』

鞄

対談手間暇かけた革を職人の手で

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板垣英三が最も信頼を寄せる栃木レザー社製のタンニンなめしの革。代表取締役社長山本昌邦氏と、鞄職人、タンナーそれぞれの視点から、その魅力を語っています。

『タンニンなめしは使い始めが50%の価値だとすると、それを大事に使い続けて、自分持ち味を持たせて100%にするもよし、80%にとどめるのもよし、いや120%までもっていけるぞ、というのが特徴です。』

『本格的な革は、やはり手間暇かけてやる職人の仕事しか受け入れない。そうすれば、価値のある商品ができあがることは間違いない。そして今度は、それを使っていただくお客様に、革づくりの価値について理解していただければ、もっと価値を大きくしていってもらえる。こういうサイクルが皮革製品の面白いところだと思います。』

山本昌邦(やまもと まさくに)氏

栃木レザー株式会社代表取締役社長。昭和29年生まれ、静岡県立浜松商業高等学校を卒業。商社勤務時代に革の買い付けに関わり、昭和60年、栃木皮革株式会社(栃木レザー)に入社。2004年代表取締役に就任。靴、鞄、革小物、室内装飾などに上質な革を提供し続けている。

創業者・板垣英三と㈱いたがきの歩み

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昭和10年 (1935年)

10月2日、神奈川県横浜市で板垣源太郎、可つの三男として生まれる。

昭和10年

昭和25年 (1950年)

東京の八木廉太郎鞄工房に奉公に入り、鞄作りを学ぶ。

昭和25年

昭和29年 (1954年)

奉公後、両親、長兄・修一、次兄・航二と共に三協鞄製所を創業。

昭和29年

昭和39年 (1964年)

エース(株)に依頼されて自社を辞め、神奈川県の小田原工場に勤務。

昭和45年 (1970年)

工場の移転のために初めて北海道赤平市を訪れる。

昭和45年

昭和46年 (1971年)

エース㈱在籍中に、キャスター付きのスーツケースを発案する。

昭和51年 (1976年)

妻・貴美子、長女・江美、長男・英一、次女・恵子の一家5人で赤平市に移り住む。

昭和57年 (1982年)

赤平市の旧教職員住宅(赤平市幌岡町113)を新社屋に「株式会社いたがき」を創業。

創業に合わせて鞍ショルダーを製作。

創業 鞄ショルダー製作

昭和59年 (1984年)

赤平市30周年記念コースターを製作。

昭和61年 (1986年)

『通販生活』(No114・カタログハウス発行)で紹介され、注文が殺到。不眠不休で鞄を作る。

通販生活

昭和63年 (1988年)

製造数の増加に伴い工場を増築。2年後にはさらに増築し、総面積180坪に。

増築

平成元年 (1989年)

前年、青函トンネルが開通。これを機にJR 北海道の寝台特急「北斗星」のルームキーホルダー製作を受託。

キーホルダー製作

平成3年 (1991年)

販売店舗として札幌店を開設。
タウンボストンが全国放送で紹介されて注文が急増。

平成6年 (1994年)

いたがき製品を札幌市内の「ななかまど」(有限会社清野クラフト)で販売開始。

平成7年 (1995年)

札幌店を閉め、東京店を開設( 東京都港区麻布十番2-21-14)。

平成9年 (1997年)

長女・江美専務がドイツにて「EMI ITAGAKI DESIGN」設立。
赤平本店に管理棟(現裁断棟)新築。

平成10年 (1998年)

長男・英一が社長に就任。社長職を退き取締役会長となった英三はドイツに滞在して、鞍ショルダーに続く鞍シリーズを開発。

平成16年 (2004年)

代表取締役に再び就任(英一社長が退社)。

平成19年 (2007年)

代表取締役を江美専務と2人体制へ。麻布十番店を一新。
京王プラザホテル札幌店を開設。
第2回ものづくり日本大賞優秀賞受賞。

平成20年 (2008年)

新社屋を完成。

「明日の日本を支える元気なモノ作り中小企業300社」に選出。創立25周年記念式典挙行。

新社屋

平成21年 (2009年)

念願の職人育成のための「あかびら匠塾」を町の有志の協力を得て発足。

平成22年 (2010年)

京都三条店開設(京都市中京区三条通柳馬場西入桝屋町78)。
「いたがきエコプロジェクト」を始動。
流政之氏の赤平応援隊発足。

平成24年 (2012年)

3月、京王プラザホテル新宿店を開設。

社長職を退き、板垣江美が代表取締役社長に就任。

京王プラザ新宿店

平成25年 (2013年)

8月、京都御池店(京都市中京区御池通堺町西入御所八幡町233)移転。

京都御池店

平成26年 (2014年)

京王プラザホテル札幌店を一新。

京王プラザホテル札幌店

平成29年 (2017年)

「あかびら匠塾」が第1回「あかびらツクリテフェスタ」を開催。
創業35周年記念講演会を開催。

平成30年 (2018年)

長年の中小企業振興への功績により板垣英三に旭日単光章が授与される。

5月、愛知県に中部国際空港セントレア店を開設。

中部国際空港セントレア店

発行に寄せて
著者・北室かず子 さんより

「15歳で丁稚奉公に出て、職人技を学んで以来、鞄作り一筋に歩んできた会長の足跡をまとめたい――」。
板垣江美社長からご相談いただいたのが、株式会社いたがき創業35周年となる2017年はじめのことでした。タンニンなめしの革にこだわり、職人として生き続けるために会社を起こし、ひたむきに鞄作りに向き合ってきた板垣英三会長。かねてからいたがき製品の愛用者でもあった私は一も二もなくお受けしました。しかし、よく考えてみると、鞄というものは、明治時代以後、西洋の舶来文化の象徴としてのハイカラな装身具であり紳士の美意識の結晶といえるもの。その奥深い世界を想像するだけで、圧倒されてしまいました。いったい何から書き始めたらいいのか、巨象を前にした蟻が、象の足元をぐるぐる這い回るだけの日々が続き、取材を重ねて書き上げるまでに一年半以上もの時間がかかってしまいました。
その間、会長が2018年春に「旭日単光章」の受勲という、たいへんな栄誉を受けられ、この仕事に関わらせていただけた光栄を感じました。と、ともに、ますます圧倒され萎縮してしまって、蟻のぐるぐる回りに拍車がかかったのは言うまでもありません。
当初、自費出版ということでスタートした本書ですが、会長の歩みは日本のもの作りの歩みであり、北海道赤平市という地域の歩みでもあるという観点から、北海道新聞社の出版物として発刊いただくことができました。
赤平市はかつて全国でも屈指の石炭産地でした。その石炭は、日本の近代化、高度経済成長に貢献しました。しかしエネルギー政策の転換で閉山となり、市は地域の生き残りを賭けて企業誘致を進め、新規事業を支援してこられました。株式会社いたがきの起業は、そんな時代の真っただ中にありました。今では地域の若者が大勢、株式会社いたがきで、いきいきと働いています。
東京・下町で身につけた職人の技が、北海道の旧産炭地で花開き、地域を元気にしています。それを叶えたのは、ひと針ひと針に込められた職人の情念です。本書で、その熱さを感じていただけたらうれしいです。

著者略歴

北室かず子(きたむろ・かずこ)

1962年生まれ。筑波大学卒業。婦人画報社で女性月刊誌の編集に携わったのち、札幌でフリーライター・編集者として活動。91年からJR北海道の車内広報誌『THE JR Hokkaido』の特集を執筆している。著書に『赤れんが庁舎物語』(北海道北方博物館交流協会)、『いとしの大衆食堂~北の味わい32店』(北海道新社)などがある。

読者からの反響
出版社・北海道新聞社より

「なかなかお目にかかれない、手に取って“顔”を見ただけで分かる良著。これだけの内容の濃さ、深さが詰まって本体1300円は安いです」

本に挟み込まれた愛読者カードで届いた読者の声です。

「自然たっぷりの赤平を盛り上げようとしている『いたがき』に感動して、あっという間に読んでしまいました」

「創業者の英三さんがこんなに波乱万丈の人生を歩まれたとは知らず、読みごたえがありました。ドラマ化してほしいです」

赤平という地方都市に根ざして長く企業活動を続けてきた「株式会社いたがき」が、人々にいかに愛されているかを物語る反響の数々です。空知の風景から鞄づくりの工程までを多数の写真を交えて紹介する本書が、より多くの人に読まれることを願ってやみません。